2020年12月11日金曜日

自分への思いやりを持つこと

こんにちは。スタッフひかりです。前回に引き続き、『NVC』に関連した話題でブログを綴っていこうかと思っています。書籍『NVC 人と人との関係に命を吹き込む法』の第9章に、「思いやりを持って自分自身とつながる」という項目があります。何回か前のCo-Edoの『20時過ぎのラジオ』でも話題に上がっていたこの内容ですが、私も考えさせられることがたくさんあったので、今回はこのトピックで、少し自分のことを書いてみようかと思います。

自分を好きになりたい

ここ数年、私はずっと「自分を好きになれない自分」と戦っているような気がしています。自分の見た目や能力、そして言動に満足できず、今のままの自分を受け入れることがすごく難しい。その気持ちは一体どこから、どのようにして形成されたのか、今回自分の過去を振り返ってみると、おそらく高校生くらいから、自分を好きになれない傾向が強くなっていったような気がします。

私は、高校を芸術系の学校の音楽科に通っていたのですが、当時、同級生たちの特別な背景がすごく羨ましかったのを覚えています。彼らは楽器が上手なのはもちろん、雨の音までドレミで聞こえる精度の絶対音感を持っていて、長期休みには年に数回、海外の音楽セミナーに行き、両親や親戚に著名な音楽家や芸術家がいて、幼少期から特別な音楽教育を受けてきている、それは私には一生手に入らないものに思えました。彼らの特別な一面を知るたびに、自分の何かを奪われたような苛立がありました。運動部に明け暮れていた自分の中学校生活を後悔し、特別な音楽教育を受けさせてくれなかったと、両親を恨んだりして、苦しかったことを覚えています。

しかし、彼らと親しくなるにつれ、彼らが特別になる過程がわかって、とても尊敬するようになりました。彼らのことをよく知らないうちは、努力と結果だけがハイライト的に見えてしまっていたのでしょう。彼らの努力や苦労話を聞いていくうちに、それは私にはできないと思うことがたくさんあり、羨ましさよりも尊敬度の方が勝っていくようになりました。
私の生まれは特別ではないけれど、特別な人と一緒にいれば、彼らの視点を得ることができるし、それが私の世界を変えるような気がします。だから今でも私は音楽をしているのかもしれません。大切なのは彼らと自分を比べるのではなくて、彼らが見ているものを見ることなのだと、高校3年間で体感した私ですが、それでもやっぱり、「周りのみんなが普通にできている(ように見える)ことがなぜ自分はできないのだろう」と、人と自分を比べて落ち込むことは今も多いです。そして、できない自分がどんどん嫌いになっていってしまう。そのループにはまると、精神的に辛くなってくることが多いです。

『NVC』からの学び

『NVC 』の第9章の中に以下のようなことが書いてあります。
「自分自身を非難するより、自分が必要としていることが満たされているか、どのように満たされているかといった視点で自らを評価することを学んだ方が、得られるものははるかに大きい」

今まで、私の周りにはすごい人がたくさんいて、自分も同じくらいすごい人になっていないと「ここに存在していてはいけない」ように心のどこかでずっと思っていました。今、自分が欲しいものや、自分がやりたいことに目を向ける前に、「自分の周りのすごい人だったらどうするか」「どういう選択をしたら自分もすごい人と同じ土俵に立てるか」そんな目線で物事を捉えてきたことをすごくすごく認識させられます。自分が必要とすることがどれくらい、そしてどのように満たされていて、満たされていないのか。そもそも一体、今自分は何を必要としているのか。『NVC 』のこの部分を読んで、私は私自身のことを考えても良いのだと認識した時、なぜかすごく安心して、肩の荷が下りたような気持ちになりました。と同時に自分の弱い部分を抱きしめるような感覚を覚え、これが自分を許したり、思いやることなのかもしれないと実感しているところです。

自分を好きになるには、「良い(と他者に思ってもらえる)人」になれば、「すごい人と同じ土俵に立ち続ければ」自然となれると思って、私はずっと頑張ってきました。そして、そんな私を評価し、賞賛してくれた人も今までたくさんいて、それにはとても感謝しています。しかし、私は頑張り続けても一向に自分を好きにはなれず、もっともっともっと...頑張ればいいことがある、いつか楽になれるとそんな風にしか自分保つことが難しくなってしまったように思います。自分を思いやるということも「頑張った自分にご褒美をあげる(だから頑張る)」とか「時には頑張る自分を甘やかすことも必要(でも甘やかしたらその分頑張る)」とか、そんな風に何かの「見返り」としてあるものだと、正直、どこかでそう捉えていたように思います。

自分を思いやるとは


私にとって「自分を好きになる」ということは、今まで思っていたことは正反対のこと、つまり、自分の弱いところを無くすのではなく、自分の弱いところはそのまま抱きしめることなのではないかと、そんな気付きがありました。そして、強いところはさらに強くしていく。

そう考えると、私にとっての「自分を思いやる」とは、やる気が起きない日に何もしない。ジャンクフードを食べる。コーヒーとアルコールをガブガブ飲む。徹夜、寝坊、遅刻、サボり。化粧とお洒落を忘れる。家にこもる。書けない。うまく喋ることができない。人前で間違える。失敗する。誰かを傷つける。不安や緊張に囚われ、落ち込み、泣く。それでも毎回何度でも自分を許し、何度でもやり直し、生きることを選択し続けることなのかもしれません。
そして、自分を好きにならなくてもOKだと、そう思うことなのかもしれません。というか、自分を好きだとか嫌いだとか、そんな二元論で考えるよりも、私は今日も存在していることを大切にしたいです。

最後に

自分が必要とすることがどれくらい、そしてどのように満たされていて、満たされていないのか。そもそも一体、今自分は何を必要としているのか。自分とつながるために、『NVC』の提唱者であるマーシャルは、「あなたの人生において、やっていても楽しくないことはなんだろうか。やらなければならないと自分に言い聞かせながらやっていることをすべて紙に書き出してみよう」と書籍に中で提案しています。私も、今年が終わるこのベストタイミング(?)で、自分を思いやるために、このリストを作ってみようと思っています。みなさんも、もしよかったら作ってみてください。そしてやってみた感想や、気付きなど、是非シェアしてもらえたら嬉しいです!